おはようございます。
コロナは、第8波の到来ですね。ウイズコロナの世の中が今後どのように推移していくのか分かりませんが早く落ち着いて貰いたいものです。
今回は、山口県の屋代島(周防大島)と架橋されている沖家室島(おきかむろじま)を探訪しました。


沖家室島は、周囲約5キロメートルの小さな島です。人口は、約100名です。明治時代には3,000名の人が暮らし、当時人口密度が日本最高になったこともあったそうです。主な産業は、漁業で、鯛の一本釣が盛んということです。

屋代島と沖家室島は、1983年3月に沖家室大橋で結ばれました。

沖家室島側の橋名板です。余談ですが、橋名板(きょうめいばん)は、道路の起点(日本橋)に近い方が入口で漢字表記となり、遠い方が出口でひらがな表示となります。また、入口側の向かって左側に漢字表記の橋名板があり、その向こう側(出口の向かって右側)にひらがな表記の橋名板があります。出口の右側に竣工年月日が書いてあり、入口側の右側には、河川名等を表記することが多いそうです。
沖家室大橋は、入口側の右側に漢字表記の橋名板があり、左側には橋名板自体がありませんでした。

道路は橋の出口から大きく右側にカーブしています。道路のループの中に恵比寿神社が鎮座しています。

恵比寿神社です。手前のモニュメントは、御船倉跡に作られたものです。船のモニュメントですね。

名所・旧跡案内マップがありました。この場所には番所もあったようです。

沖家室小学校跡です。人口が多かった時代に建てられたものですね。

二宮金次郎像がありました。多くの小学校にこの像がありますね。

小学校跡の辺りに戻って来ました。ホウキ草がとても綺麗に紅葉していました。
泊清寺に向かいます。

立派なお寺です。江戸時代初期からある由緒ある浄土宗のお寺です。丁度、住職が読経されていて厳かな時間の流れを感じました。
泊清寺を後にします。
ここで行き止まりです。
戻ります。
沖家室島は、周囲約5キロの小さな島で、道路は、沖家室大橋を渡って中学校跡までの道路で、島を一周することはできません。そんな島が明治時代に3,000名の人達が暮らしていたと思うと凄いなと思いました。炭鉱とかもないこの島が当時は交通の要所として栄えていたんですね。また、泊清寺の静寂の中聞こえて来たお経の声はとても清々しい気持ちにさせてくれるものでした。
コロナの感染者は、増えるばかり、もう慣れてきましたが、日本のみならず世界中のコロナウィルスの1日も早い収束を願うばかりです。皆様もどうぞ感染しないようにお気をつけて下さい。目標達成状況を最後に入れていきたいと思います。最新の目標達成状況は、下の青字目標達成状況をクリックしてください。














































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