
おはようございます。
バイクで離島をまわる旅 今回は、私の所属する九州平日ツーリング(バイクグループ)が協力している佐賀市のいいとこフォトラリーに参加させて頂きました。ブログアップの許可を得たので、アップしたいと思います。
こちらは、バイクで離島をまわる旅 特別編(佐賀市)①の続編になります。まだご覧になっていない方は、よろしければ、先にバイクで離島をまわる旅特別編(佐賀市)①をご覧ください。
佐賀自動車倶楽部さんが主催されている企画に協力するという事で、九州平日ツーリングの一員としては、参加しないといけないと思い応募して、なんとか99人の枠内に入りました。
こちらの企画、簡単に説明すると佐賀市のいい所32箇所を愛車と共に探訪して写真に収めると言うものです。
佐賀県に住んでいながら全く知らなかった場所や知ってはいたが訪れた事がない場所がかなりありました。なかには、歴史に纏わる悲しい場所などもありました。
こちらがマップになります。

山間部のポイント

平野部のポイントになります。


こちらが32箇所のポイントです。
特別編(佐賀市)②では、17番目から32番目を紹介させていただきます。
早速紹介したいと思います。
17番目 別れの松

17番目 別れの松です。10 月27 日に訪れました。
こちらは、江戸時代の処刑場の近くにあった場所です。こちらで処刑される罪人が白装束で家族や知り合いと最後の水杯を許された場所です。処刑場がなくなってからも、この松は守られています。悲しい場所です。





日本人には、哀れむ心があります。たとえ罪人であっても家族との最後の別れの機会を与えていたのですね。
18番目 築地反射炉跡

18番目 築地反射炉跡です。11月5日に訪れました。
築地反射炉は、佐賀藩が外国からの侵略に備える為に研究開発した反射炉です。この反射炉では、反射炉内の温度が上がらないため失敗を重ねましたが、やっと12回目に大砲の製造に成功します。これが日本で最初の鉄製国産大砲であり、築地反射炉は日本発の実用反射炉となりました。築地反射炉で130門ものカノン砲や当時最高峰であったアームストロング砲等の大砲が製造されました。
補足すると、当時、長崎の警備に当たっていた佐賀藩は、いち早く清国がアヘン戦争により侵略されたという情報を知り、当時の幕府に報告しますが、幕府は動きません。それでも、我が国の危機を予測した10代佐賀藩主鍋島直正は、日本の防衛の為、佐賀藩独自で鉄製大砲の開発に取り組んだのでした。その予算は、佐賀藩の会計の4割に及んだとも言われています。その後、ペルーの黒船騒動の際、幕府は佐賀藩に大砲の製造を依頼することになります。
現在は、反射炉の縮小レプリカが日新小学校の校庭にあります。
<
font size="4">カノン砲のレプリカです。当時の大砲は、第二次世界大戦時に砲弾を作る材料として提供されて今では一門も残っていません。






幕末に佐賀藩は我が国の防衛に重要な役割りを果たしていました。
19番目 バルーンミュージアム

19番目 バルーンミュージアムです。11月5日に訪れました。
バルーンミュージアムは、2016年に天候に左右されずバルーンを楽しめる施設として佐賀市がオープンさせました。
工夫を凝らした様々な展示がされていますが、目玉は、バルーンのフライトシュミレーターです。その他、バルーンのハガキを完成させるスタンプラリーや、クイズコーナーなどの楽しい企画もあります。入館料は、大人500円です。入館料には、2時間の駐車場無料も含まれています。
駐車場で記念撮影しました。
こちらがバルーンミュージアムの外観です。
こちらがバルーンミュージアムの入口です。券売機で入館券を購入します。
こちらは、年間パスポートです。受付で購入しました。値段は1,000円です。何回か訪れたいと思い購入しました。
1階には、シアターがありますが撮影禁止なので2階に上がります。
ワクワクしますね。
こちらが絵ハガキのスタンプラリーです。
6個のスタンプを押すと完成です。筆者も完成させました。
真っ白のハガキをずれないように左側のケースに入れて右側のスタンプを押します。
綺麗ですね。
バルーンの装備品です。こうなってるんですね。
大きなプロパンガスボンベを積んで、大火力でバルーンを膨らませます。
結構狭いですね。
バーナーの下にあるレバーで操作し、バルーンを上昇下降させ、行きたい方向の風にのって移動します。
ありました。フライトシュミレーターです。挑戦します。レバーを操作してバルーンを上昇下降させ風にのって目標に近づきます。そこでマーカーを投下します。目標からの距離で競います。
1メートル以内に落とせればSランクのバッチがもらえます。Aランクのバッチもあり1.1メートルから25メートル以内に落とせばもらえます。筆者は、75メートルでした。ちなみにCクラスです。楽しめました。
こんな感じで絵葉書になっていきます。
いろいろな形のバルーンがあります。キャラクターものもあります。
バッチが展示してありました。沢山あります。
特別映像展も行われていました。
こちらはステッカーです。
なるほど、それにしても凄い数です。
どれもカッコいいです。
ステッカーだけでも楽しめます。
こちらはイカロス5号のコーナーです。日本で初めての熱気球と言われています。
バーナーもいろいろ改良されているようです。
今回は、ザーッと見て回りましたが、次回はゆっくり見て回りたいと思います。
3Dのトリックアートがありました。
1階には、お土産コーナーがあります。
ここでしか買えないものも沢山ありそうです。
バルーンミュージアムは、思った以上に楽しい場所でした。次回は、ゆっくり見て体験してみようと思いました。
20番目 大隈記念館

20番目 大隈記念館です。11月5日に訪れました。
大隈重信は、2度総理大臣を務め、早稲田大学を創設した人物として広く知られています。佐賀市には、その大隈重信が生まれ育った家と大隈とゆかりの物を展示した記念館があります。
看板の前で記念撮影しました。

こちらから入ります。大隈記念館は、過去に何回か訪れたことがありました。久しぶりに来ました。

こちらで入館券を購入します。

こちらが入館券です。売り場で生まれ育った家に上がって見学するかどうか尋ねられますので、希望する方は、住所氏名を記入する必要があります。


先ず飛び込んでくるのが銅像です。立派な銅像があります。

こちらが生家です。


台所です。竃の時代です。


こちらが玄関になります。当時の武家屋敷がそのまま保存されています。
入ることが出来る手続きをしたので上がります。
お座敷です。

庭に佐賀の県鳥であるカササギがいました。地元ではカチガラスと呼んでいます。


昔来た時は、2階に上がれたのですが、今は、5のつく日だけ上がれるそうです。

こちらは、大隈重信が子供の頃、佐賀藩の弘道館に通っていた時に、2階を増築した勉強部屋の一部の写真です。勉強に集中できるように明かり取りの窓が上の方に作られるなどの工夫がされた部屋でしたが、極めつけはこの「ごっつん柱」です。増築の際、梁を切った出っ張りの前に机を置いて、もし眠たくなれば、その梁の出っ張りで頭をごっつんして目が覚めるというもの。なかなか良いアイディアですね。
あれ?今日は5日だけど?ごっつんの日だ!まぁ良いかあ(^。^) 以前来た時に見ているし(^。^)



茅葺屋根と瓦の屋根がコラボしています。


こちらは、国の史跡に指定されています。




赤いカーペットの階段です。
館内はこのようになっています。


当時の屋敷周辺のジオラマがありました。

大隈重信は、外務大臣の時に過激派から襲われ、その時に右足を無くしています。その後は、義足で行動しました。大隈重信の義足が展示してあります。


こちらは2階の早稲田コーナーです。









素晴らしいです。

こちらの設計者の方が、大隈重信の赤いガウンのイメージから窓に赤いステンドグラスを用いたそうですが、そのステンドグラスに夕陽があたりまるで赤いガウンが浮かび上がっているようでした。
大隈重信は、明治維新で日本の発展の原動力として頑張った人でした。そこには、佐賀藩鍋島直正公の世界感と日本を守り抜くという気概が脈々と受け継がれているような気がしました。
21番目 佐賀城跡

21番目 佐賀城跡です。11月5日に訪れました。
佐賀城は、1602年鍋島直茂により築城されました。4層の天守閣もありましたが1726年の大火で焼失しました。また、佐賀の乱等で鯱の門などの一部を除き焼失してしまいました。現在は、佐賀城本丸御殿等が復元されて歴史資料館として見学することができます。

バイクを押していき記念撮影しました。
第10代佐嘉藩主 鍋島直正公銅像です。
当時のまま残っている鯱の門です。


鯱の門から西側を見た様子です。飛び出している石垣が天守閣があった場所です。


鯱の門には、佐賀の乱等で使用された銃弾の跡が今も残っています。



大砲のレプリカも展示してあります。
こちらに天守閣がありました。


佐賀城西門です。

戻ります。

佐賀城本丸御殿歴史資料館の入り口にやってきました。アームストロング砲のレプリカなどが展示してあります。


こちらから上がります。入館料は、無料です。


本丸御殿の廊下です。畳敷で広いです。
こちらが本丸御殿の部屋です。襖を開けるともの凄く広い部屋ができます。

掛け軸も立派です。

四角で囲ってある所には、当時建物があった印です。


1番奥まで行くと、なんと鍋島直正公と記念写真が撮れます。

素晴らしい生花です。



佐賀城本丸歴史館では、佐賀城の歴史、復元した本丸御殿、幕末から維新期の佐賀、佐賀の群像等を知ってもらえると思います。是非訪れて下さい。
22番目 蓮池城址

22番目 蓮池城跡です。11月5日に訪れました。
蓮池城は、当初、関東から下向した小田直光の居城として築かれました。その後、龍造寺隆信が侵攻して、龍造寺家晴が城主となり、龍造寺隆信の没後、鍋島家ゆかりの者が支配して来ました。天守閣がありましたが、佐賀城に移されました。蓮池城の後には、蓮池神社がおかれました。現在は、蓮池公園となっています。お城の面影は、殆どありませんでした。
記念撮影します。
蓮池城の案内板がありました。
肉弾三勇士の1人、江下武ニの銅像があっそうですが、現在は土台のみ残っています。


蓮池公園も紅葉が始まっていました。




23番目 大堂神社

23番目 大堂神社です。11月4日に訪れました。
祭神は、事代主神等です。1640年に建立されました。佐賀県唯一の銅造の明神鳥居や大楠などがあります。
鳥居の前で記念撮影します。



なかなか良い飾りがしてありました。

笑う門には福来る(^。^)

初めて見ました。逆立ちしてます。
こちらは普通です。


お参りします。

大堂神社は、銅造の明神鳥居や逆さまの狛犬、大楠などがありました。笑う門には福来る(^。^)の飾りもありました。
24番目 新北(にきた)神社

24番目 新北神社です。11月4日に訪れました。
スサノオノミコトを主神としています。境内には、徐福が手植えしたとされる樹齢2200年のビャクシンの神木や樹齢1600年とされる大楠等がありました。凄いパワースポットですね!
徐福と関係がありそうな獅子舞みたいな銅像の前で記念撮影します。
狛犬ではなさそうですが、謎です。
橋も古いです。
大賀ハスがありました。

この時期は、枯れてます。


佐賀市の重要文化財の肥前鳥居です。





なるほど!
凄いパワーがありそうです。
お参りします。



徐福手植えとされるビャクシンです。凄まじいパワーを感じます。


記念撮影場所もありました。

新北神社は、ものすごく古い神社でした。徐福との所縁もありました。樹齢2200年のビャクシンからはもの凄いパワーを感じました。大楠も負けていません。ダブルパワーで元気いっぱいになりました。
25番目 筑後川昇開橋

25番目 筑後川昇開橋です。11月4日に訪れました。
筑後川昇開橋は、1935年に旧国鉄佐賀線の開通に合わせて建設されました。1987に佐賀線が廃線となるまで使われてきました。1996年に遊歩道として整備されて現在に至ります。日本で唯一現存する鉄道用昇降式可動鉄橋です。今でも乗降します。

記念撮影します。


この地は、徐福が上陸した地点とされています。



佐賀線関連の物を展示してありました。


上がった状態です。

降りてきます。

筑後川昇開橋を渡ると、昇開橋温泉があり、昇開橋を眺めながら入浴できましたが、今年3月にコロナのため閉館になりました。
26 番目 江藤新平乗船の地

26番目 江藤新平乗船の地です。10月27日に訪れました。
江藤新平は、明治維新で活躍した人ですが、佐賀の乱を起こし、こちらから西郷隆盛を頼りに船を出したのですが、結局捕まり処刑されてしまいました。実際に訪れると明治維新前後の新しい日本の為に散っていった人々の凛とした姿が思い描けました。

こちらです。

江藤新平乗船の地の案内板がありました。



27番目 三浦虎次郎顕彰碑

27番目 三浦虎次郎顕彰碑です。10月28 日に訪れました。
三浦虎次郎は、東与賀出身で、日本海軍の水兵でした。日清戦争で旅順封鎖の際、日本海軍の旗艦松風で下甲板前部弾庫員として勤務していました。敵の旗艦定遠は、大炎上しますが、松風も定遠の放った砲弾が命中し三浦虎次郎は、被弾し血塗れとなり戦闘不能の状態になりました。そこを通りがかった松風の副長に意識が遠のくなか「まだ沈みませんか、定遠は?」と問いかけます。この短い言葉に祖国を守る水兵の熱い思い(気概)が読み取れます。副長は、もうすぐ沈むと答え、三浦虎次郎は、息を引き取ります。
後日、その話が新聞に載ることとなり、三浦虎次郎の気概に感動した人々が、一人一銭の寄付をして建てたのがこの顕彰碑です。戦後、GHQから碑の取り壊しを命じられますが、地元民は、反対します。結局、碑文を削る事で合意しました。その後、再び浄財を集めて修復されました。






勇敢なる水兵
呼びとめられし副長は 彼のかたへにたたずめり
声をしぼりて彼は問ふ まだ沈まずや定遠は
まだ沈まずや定遠は この言の葉は短くも
御国を守る武士の 胸にぞ深く刻まれぬ— 作・佐々木信綱

幹線からの入口には、このような案内板が出ています。
28番目 三重津海軍所跡

28番目 三重津海軍所跡です。11月4日に訪れました。
三重津海軍所は、江戸末期に佐賀藩が独自で作った海軍錬成施設でした。
1855年、当初佐賀藩は、幕府が開設した長崎海軍伝習所へ多くの藩士を派遣して航海や造船の知識や技術を学ばせました。その一方で、長崎海軍伝習所で学んだ事を藩内に広めるために三重津に御船手稽古所を設けたのが三重津海軍所の始まりでした。
平成27年に世界遺産に登録されています。現在、海軍所跡は、発掘調査後、地下に埋め戻して保管されています。
堤防の上で記念撮影します。
こちらの建物は、佐野常民記念館でしたが、今は、三重津海軍所の資料も充実しています。こちらでVRみえつスコープを借りることができます。
みえつスコープは、こんな物です。(ホームページからの引用)とても軽いです。
番号がある場所で覗くと、こんな映像が見れます。
こちらが入口です。
みえつスコープを借りるためこちらで必要事項を記入します。

みえつスコープを借りて出発します。

ここからスタートします。

船屋地区です。


稽古場地区です。

修復場地区です。



修復場地区から見た佐野常民記念館です。
6番で終了になります。
こちらは佐野常民記念館の中にあるインフォメーションコーナーです。


三重津海軍所跡は、幕末から維新期の海軍所の様子を垣間見ることができます。
29番目 授産社搦防波堤跡

29番目 授産社搦防波堤跡です。10 月24日に訪れました。
明治中期に佐賀藩足軽3500名の懇願により授産社を結成し有明海を干拓しました。約66ヘクタールの土地が干拓されました。現在の海岸線は更に南にありますが授産社搦防波堤跡は、現在も道路として使用され、美しい石垣を見ることができます。

木が生えていることろが授産社搦防波堤跡です。

30番目 燈堂(あかしどう)

30番目 燈堂です。10月28日に訪れました。
戦国時代の勇将、龍造寺隆信(1529〜1584)は、豊後の大友氏に寝返った家臣に追われて筑後柳川に近い一木村に身を潜めていましたが、天文22年(1553年)密かに佐賀水ケ江城奪還を企てていた隆信は、鹿江兼明らの船に乗り、ここ犬井道地先の燈堂に上陸した。当時、この辺り一帯は葦の生い茂った海岸で、航路の安全を祈る燈を灯す堂があったことから燈堂(あかしどう)と呼ばられています。
上陸後、破竹の勢いで周辺の諸将を倒した隆信は、遂に五国(肥前、肥後、筑前、筑後、豊前の一部)二島(壱岐、対馬)の太守となり、九州では、薩摩の島津、豊後の大友と並ぶ戦国大名となりました。




隆信の座像は、昭和28年4月南川副町制施行を記念して、地元の有志によって建立されましたが、その後損傷が激しくなったため、平成10年9月に改築されました。



佐賀の武将と言えば、やはりこの龍造寺隆信公ですね。
31番目 干潟よか公園

31番目干潟よか公園です。10 月24日に訪れました。
有明海は、魚介類、野鳥、塩性植物等の貴重な生命を育む場所です。その有明海に臨む東与賀海岸に干潟よか公園はあります。この時期は、真っ赤なシチメンソウを見ることができます。
また、ラムサール条約に登録された東よか干潟にはシギ、チドリ等が飛来し見ることができます。
更に、今年10 月20日に東よか干潟ビジターセンター ひがさす がオープンしました。入館無料、開館時間は、午前9時から午後5時まで。月曜日と年末年始が休館になります。
ひがさすをバックにパチリ。

なかなか立派な建物です。



シオマネキです。



展望所からは、有明海が一望できます。



防波堤には、このようなラッピングがしてあります。




真っ赤なシチメンソウが見れます。



海岸から見たひがさす。
ひがさすは、新しい佐賀の名所になりそうですね。
今年は、関係者のご努力によりシチメンソウがかなり復活していました。普段、塩性植物等あまり目にすることもありませんが、ここに来れば美しいシチメンソウが毎年見れることを願っています。
32番目 山口家住宅

32番目 山口家住宅です。10月28日に訪れました。
山口家住宅は、19世紀中頃に建築されたと推定されます。寄棟造りですが、その最大の特徴は、萱ぶきの屋根の形にあります。上から見るとほぼ正方形で、内側は谷状に低くなっています。このような四角形の屋根の家は「漏斗(じょうご)谷」「四方谷」と呼ばれ、日本では、佐賀県東南部と福岡県西南部だけに見られる珍しいものです。漏斗谷民家としては建築年代も古く、民家建築の変遷を知る上から価値が高いものと言えます。重要文化財に指定してあります。

住宅の西側を背景にした写真です。

詳しい案内がありました。

このイラストは、わかりやすいですね。






こちらの樋から屋根の中に流れ込んだ雨水を外に出すようです。

雨水が当たる場所には、このように石が敷かれてました。


住宅は、傾きに建っています。北東側の写真です。

玄関右手にトイレがあります。

こちらが傾きの玄関です。

大規模な改修工事もされたようです。

イラストがありました。玄関の上の瓦が一段低くなっています。




間取りです。土間やうまやもあります。

内側に流れた雨水の流れ方を説明した図です。

実際の住宅の空中写真です。

中の様子です。土間です。

あがりばなから、板の間です。

座敷から中の寝床です。
私は、漏斗谷民家を初めて見ました。貴重なものですね。
バイクで離島をまわる旅 特別編(佐賀市)②を最後までご覧頂きありがとうございました。
佐賀市にはご紹介したような素晴らしい場所があります。よろしければ、探訪してみてはいかがでしょうか(^^)
コロナウィルス終息まで気を抜かないで頑張っていきましょう(^^)
日本のみならず世界中のコロナウィルスの1日も早い終息を願うばかりです。
次回をお楽しみに!
目標達成状況を最後に入れていきたいと思います。最新の目標達成状況は、下の青字目標達成状況をクリックしてください。
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